空調設備を壁から剥がす行為や壁との合体に不可欠な引っ越し料金などは

当時の日本では、時速一〇〇kmというスピードはまだ憧れの世界のものだった。なにしろ↑手な串だと、六〇~七〇kmで二じ分も足り続けるとオーバーヒートし始めるし、

箱根(もちろん当時は旧道しかなかった〉の山を登るとなると、道程の半ばあたりの小さな滝があるところで串を止め、滝から冷たい水を汲み上げて、オーバーヒートしかかったラジエーターに注いでやるといった作業が必要だった。それに、トラック用を基本にしたサスペンションは確かにトラックなみにタフではあったが、トラックなみにラフでもあった。今の基準で考えれば、当時の日本の乗用車は「激しいショックと耳を聾する音と格闘する断固たる決意」をもたなければ乗れないような代物だったのだが、クラウンに乗るにはそんな決意も頑健な身体も要らなかった。 サスペンションは路面の凹凸を確実に和らげ、アシスト・グリップにしがみついていないと頭を天井にぶつける心配もなくなったし、車内で会話を楽しむこともできるようになつた。